映画『2つ目の窓』

日本

海の青さで表現される美しさとはかけ離れた、
生々しい命のつながりと、少年少女の成長を描いた作品。だと、思う。たぶん。

 

 

 

 

1 映画情報

原題: 2つ目の窓
Still the Water
出演: 吉永淳
村上虹郎
村上淳
渡辺真起子
杉本哲太
常田富士男 ほか
公開日: 2014年6月23日
上映時間: 110分
監督: 河瀨直美
配給: アスミック・エース
公式サイト: https://www.asmik-ace.co.jp/lineup/2157
主題歌: ______
原作: ______

2 予告

 

 

3 あらすじ

奄美大島で、旧暦の8月に行われるハ月踊りの夜に、
堺人は、刺青を背負った男性の溺死体を発見する。
その場から逃げ出した堺人は、同級生の杏子に姿を見られる。

溺死体の噂は広まり、学校から遊泳禁止を指示されていたが、
杏子はいつものように海で泳いでいた。
杏子は、堺人に自転車で家に送って欲しいと伝える。

4 感想

 

映画って、誰のためのものだろう?
監督のもの?出演している俳優のもの?

少なからず、観に行く人たちは、お金と時間を費やしている。
映画の表現方法は自由で、その手法を楽しむのも、また、ひとつの楽しみ方というのは否定しない。
ただし、目に入る文字や映像が何を意味するのを理解する(させる)ことは重要というか、作り手側の責任だと思う。

作り手が伝えようとしている内容やその意味が伝わらなけえれば、
観に来た人たちの時間を浪費しただけになる。
もしかすると、理解できないこと自体に意味を見いだす人たちもいるかも知れないが。

この作品は、他の多くの映画と同様、映像や会話が何かを暗示させるもの(を意図している)だと思う。
多くの作品はエンディングをむかえるころには、「こういう事だったんだ」と自身の答えを見つけて、
劇場をあとにする。

この作品では、作り手の意図を、理解できた人は少ないように思う。
私自身、見どころ、作り手の考えていること、何ひとつ、自分の中で答えを見つけられていない。

奄美の海や風景が日常の生活の様子を代弁するかのように、決して、晴れやかではない。
あつい雲の下、大きなうねりを見せる。
映し出される寝室の様子から、少年と親の関係が垣間見られる。
一転して、静まり返った海と共にヤギを絞める映像が流され、
いのちにまつわる作品を予感させられる。

雲に見え隠れする月。
少年は、海辺に漂う刺青を背負った死体を見つけて走り出す。
さらに印象付けられる死。

翌日、少女から溺死体のことを話しかけられる少年。
そして、少女を意識して睨み返す少年。

少年の見つめる先の寝室には、脱ぎ棄てられた下着。
母親との間いに、溝を感じさせる。

一方、制服のまま海を泳ぐ少女。
少年とは同い年だが、精神的には少年より大人びて見える。
明るく老人に話しかける少女。
少女は母親の死が近く、その事をひとりでは抱えきれないでいる。

海を見つめながら、少年は、少女に海が怖いと告げる。
「海は生きている」と言うと、「わたしも生き物ですけど」と冗談混じりのセリフを返すが、
沈黙がおとずれる。

少女は、海に入ると、海と一体になれる瞬間がある。
セックスみたいだといい、少年を見つめキスをした。
少年は沈黙し、帰ろうとだけ言う。

映し出される行為中の刺青を背負った男と母親。
海に入って泣いている母親、そして、波に飲み込まれる。

目覚め夢とさとる。母親を直視できない少年。

 

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未成熟なふたりが、日々の生活の中で成長する様を描いているとしか、
表現のしようがない。

ボヤけたストーリーで、さも、何か意味ありそうな演出をしているにも関わらず、
何もないように感じる。または、深い考えがあるのかも知れないが、理解できない。

結局、理解できなければ、面白くもない。
伝わらなければ、それは作り手の自己満足だと思う。

観終わって、この作品が伝えようとしている内容が分からなった。
いや、語ろうとしていることは感じられる、その様な気がする。
だが、答えは無い。

主題となるテーマは、「いのちのつながり」だと思う。
ヤギを絞める手伝いや、相手との関わりに距離を取っていた少年が、
少女との交わりを経て、青年へと成長したということを言いたいのかもしれない。

海は穏やかな時もあれば、荒れる時もある。
人生になぞらえたシーンと、最後の澄み切った海は、いかにも、意味ありげだが、
それに対しての答えは映画の中には無い。

少年の視点から、母親がとっかえひっかえやっていることに対して、
フラストレーションを抱えているのは理解できるが、
この映画の中では、その後、いなくなった母親が無事に見つかって、
良かったぐらいの表現しかなく、何かを解決したようには、感じられなかった。

そしてなにより、最後のシーン。映像は、海の映像は美しかった。
でも、男は行為の後に、優雅に、彼女と手をつないで海の中を泳いでいる。
これは医学的にみても、ちょっとリアリティがない。

 

また、おじいさんが語った「もう、わしは泳げんなぁ~」の意味するところは?
海の中で一つになることがセックスしているみたいと語った少女。
これまでの流れから、爺さんが「ただ、やりたいなぁ~」と言っている様にしか聞こえなかった。
ただの下ネタでしかないが、作り手はそんな事、思ってないだろうな。

 

そして、結局、2番目の窓って何だったのか?

映画に読み取れるキーワードは、
・いのちのつながり
・いのちをつなぐための性へのあこがれ
・若者たちの成長
・Stiil the water 「水よ、静まれ」

 

はじめにも書いたように答えは分からない。
仮に、少年、少女たちの成長には段階があって、その2つ目を示しているとしたら、
なんで窓なんだろう?
扉とかドアだと、分かり過ぎるから、ちょっとボヤかしたのだろうか?

 

不特定多数の人たちが観る映画においては、
なにがしかの答えを見つけ出せ無い作品は、失敗作だと思う。

この監督の映画作品を、他は観たことありませんが、
作品の傾向を把握したら、ちょっと違った感想になるかもしれません。
でも、そこまで観客に求めるのか?という気持ちにはなります。

カンヌでスタンディングオベーションを受けたと言われていますが、
外国の人たちは、思っていなくても褒めて、ひとを気持ちよくしてくれる傾向があります。
もしくは、海外の人たちには受け入れやすい表現なのかもしれない。

いろいろと思いを巡らしてみても、
結局のところ、この映画で語られるのは、少年少女の行為と、
海を裸で泳ぐ姿でしかないと思う。

 

観るか観ないかを迷っている場合は、観なくてもいいと思う。
明確な答えを必要とする人は、観なくていいと思う。

ただ、そうは言いつつ、数年後に再度、観て、
別の感想を書いている可能性は感じさせる映画だと思う。

 

5 メモ

 

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